職員4名、文化部の部長、副部長3名、総勢49名のツアーになりました。バスは、下蒲刈島(しもかまがりしま・・・舌を噛みそう)を目指して、一路山陽自動車道を西へ。
バスはお馴染みの井笠バス・・・!? 井笠鉄道なんですね。 何回も乗っているのにちっとも気がつかなくて・・・すみません。 |
小谷SAです。 |
小谷SAでトイレ休憩・・・ここから先は島に着くまで御手洗いはありませんとのガイドさんに促されて、みんな御手洗いへ。御手洗へ行く前に御手洗い・・・。御手洗いか御手洗か・・・ややこしっ!
車窓からの眺めは最高! 瀬戸内に浮かぶたくさんの小島が織り成す景色の素晴らしさに改めて感動しました。ここ2年、しまなみ海道、瀬戸大橋と渡ってきましたが、この安芸灘とびしま海道も小粒ながらの山椒の味を楽しむことが出来ました。
江戸時代、朝鮮通信使が来日した折に盛大な歓迎をしという記録が残る下蒲刈島。松涛園の御馳走一番館に当時振舞われた三汁十五菜の復元模型があり、いくらなんでも食べきれないなぁ・・・と。また、通信使の行列を再現したお人形など興味深いものがたくさんありました。・・・が、室内は撮影禁止!! 残念。また、1週間違いで「朝鮮通信使再現行列」(矢掛町の大名行列のようなもの)があるそうで、これも残念。
皆様お待ちかねの昼食は・・・「ゆたか海の駅」で。平成12年にオープンした国内初の海の駅でそうです。
お味の方は、さすが、とれとれの海の幸で、今までの文化財めぐりの中でも一番!とのお声も聞かれました。
江戸時代、風待ちや潮待ちの港町として栄えた御手洗は重要伝統的建造物郡保存地区に国から選定されています。今も当時の面影があちらこちらに残されたレトロな町並みを観光ガイドさんと一緒に歩きました。
平成4年に豊浜大橋が出来る前は、この港が島への入り口として賑わっていたのでしょうね。
ここで、カメラマン交代!
江戸みなとまち展示館 |
昔の船宿が立ち並ぶ通り |
白衣の先生と往診カバンを持ったナースが 今にも出てきそうな雰囲気です。 |
ところどころに当時の繁栄を偲ばせる亀や宝船が彫られています。
港町として栄えた明るい面がある一方で、遊郭もあり、5歳で売られてきて遊女に育て上げられる哀しい女性の悲話もたくさん残っているようです。
海上の船に遊女を運ぶ「おちょろ船」の模型を作っておられる船大工さんも町の語り部としてお話をしてくださいました。
現在は過疎の町・・・400軒ある中で半数は空き家とか。でも、そういう風情は少しも感じられません。確かに人通りは少ないですが、家々に飾られたお花に、ここは空き家じゃないんだよというメッセージが感じられます。また、観光で訪れた方への「おもてなしの心」が感じ取れます。皆様のたゆまない努力には頭が下がります。
一つ、ご注意を! 御手洗の町には御手洗いが少ないということ。 でも、マンホールの蓋に象徴されるように水洗化されています。昔の劇場「乙女座」では、年季の入った古い扉に「女子便所」と書かれていました。使えるのかな?と、扉を開けると洋式のトイレでした^^
帰り道、撮り忘れた集合写真を撮りに寄った公園。まず、皆さんお手洗いへ直行。二度・三度、ガイドさんがカメラを構えてもまだ揃っていません・・・との声。
出来上がったお写真を参加された皆さんにお配りしたのですが、無事に49名揃っているのか、ちょっと心配になってきました。
帰りの車中では、先日矢掛放送で放映された、7月10日の元気の出る講演会「岡山弁再発見」をDVDに録画したものを映しました。青山 融さんのお話は何度聞いてもおもしろく、普通なら、皆さんお休みのはず。今回だけは、眠気も吹っ飛んで車内は爆笑の渦の中。
最後まで楽しかった「文化財めぐり」は無事終了♪
ありがとうございました。
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